◆月夜のたぬき
絵本の中で、たぬきは月がすべって降りてくる光景に出会います。
水の音の気配に大急ぎで行ってみると、こんもりとした森の中に池が広がっています。その池の中で浮いたり、もぐったり月は遊んでいるのです。
月が遊ぶ池、そして、それを池のほとりでみつめるたぬき。たぬきはびっくりして、おなかをきゅうっとつかみながらも、池で遊ぶ月を見守り続けます。
静かな時が、ゆったりと流れます。
◆あきれるほどの時間
子どものころは、あきれるほどの時間を持っていたように思います。忘れられないいくつかの月もある。
田舎からの帰り、車の中から見た月。
親戚の人を送った帰り、どこまでも追いかけられた月。
その色、明るさまで覚えています。
でも、それは時間の長さではなかったのかもしれません。時間に換算すれば、ほんの数分だったのかもしれない。子どものわたしは、わたしは没頭する『時』を持っていましたね。
じっとみつめ、ただながめ…する『時』。
それにひきかえ、今は何をしていても落ち着かない。次はなにをするんだっけ。お夕飯のお買い物はなんだっけ。
仕事のこと、子どものこと、家のこと、わたしの頭の中はグルグルと雑多なものでうごめいています。
それもまた、よしとしましょう。いつかまた、無限のときを感じて、月をながめる日がくるかもしれませんものね。
◆保育園の子どもがね
保育園で『つきよ』を読みました。
なかなかに大人な絵本です。
子どもたちわかるかな、って思いながら。
2才の女の子、
読んでる間、たぬきと一緒に、おなかをきゅうっとつかんでいました。きゅうっと…ね。
(2002年10月掲載)
|